2014年12月07日 09:44
(セレンディピター フォーラムから Dr.伊東のメッセージを転載させていただいております)
吾、唯足るを知る。
これは、禅のシンプルな教えです。
写真は、京都の禅寺、龍安寺のお庭にある蹲(つくばい)です。
真ん中にある正方形の窪みの上から時計回りで順に、
吾、唯、足、知 と彫ってあります。
全ての漢字に共通の口が真ん中の正方形の窪みになっていて、
上から時計回りに、吾唯足るを知る、と読めるようになっているのです。
なんてお洒落なデザインでしょう。
そういえば、僕たちは高校生の時、皆学校で古典・漢文を学びましたが、僕は古典・漢文が大嫌いでした。
例えば、万葉集の短歌を 先生は読むやいなやすぐに、その意味や文法を解説し始めるのです。
この単語の意味はこうで、こう文法的につながるから、こういうことを言いたい歌なんだと・・・・・。
こんな授業のせいで、どれだけ多くの若者が、その後万葉集を読まなくなったことか?!
今思い返すと、万葉集の素敵な短歌を 先生が静かに三度ゆっくり読んでくれて、
その後しばらく沈黙していてくれたなら、
日本語と日本人が持っているなんとも繊細で美しい音とセンスに感動したことと思います。
もちろん、先生のせいだというつもりで言ったのではなく、受験や知識詰め込みの教育体制の中で、
僕も飲みこまれていたのであり、そういった感性を育むことを二の次にしていたのです。
そこで皆さん、提案です。
この言葉、「吾、唯足るを知る。」を意味など考えずに、ただ静かに
三度ゆっくりと唱えて、しばらく沈黙してみて下さい。
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皆さんの中で、ほんの僅かでも
何かが落ち着いた!
何かが変わった!
何かが開いた!
そんな感じがあったのなら、それで充分です。
意味など探っても、意味がありません。